「熊野本宮ワーケーションVillage」のロケーションとなる熊野とは、
ワーケーションの舞台は熊野の国「本宮」。県内外はもとより、世界の中でも「由緒・歴史の奥深さ」では並び立つ地がないほど、かけがえのない随一の価値を持つ「世界遺産」の地。
歴史と共に史跡、名勝を巡る。 「熊野カルデラ火山」により生まれた「自然崇拝」の起源となった特有の大地。 「地球史上でも最大規模に近い破局的噴火(トバカルデラ、イエローストーン国立公園級に並ぶ)がここ熊野の地に起こりました。大規模な火砕流が噴出し、地表が大きく陥没して巨大なカルデラが出現。そして、長い年月で侵食されたその大地を現在目にできるのが、マグマの岩脈や花崗斑岩の姿を残す「南紀熊野ジオパーク」「日本の地質百選」に選ばれた場所です。 那智の滝・橋杭岩・フェニックス褶曲 世界最大級の熊野カルデラの痕跡「南紀熊野ジオパーク」の見学を。南北径41km、東西径23kmとされる熊野カルデラ。そのカルデラ噴火が生んだ
見学に値する稀少な大地(ジオサイト)が、ここ熊野には107箇所も存在します。
熊野は「大地のエネルギー」が「人間のエネルギー」に変換される場所とも言われていますので、その神秘的な大地に触れてみてください。 世「熊野本宮ワーケーションVillage」周辺案内 紀元前660年神武天皇即位〜 『古事記』『日本書紀』に登場する日本最古とされる神社と熊野の神々が鎮座する場所。 神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産んだ後に亡くなったその墓所が、
日本最古の神社「花の窟」であり、初代・神武天皇が「神武東征」を果たした際の「神剣・布都御魂剣(ふつみたま)」を授かったのが、熊野の神々(熊野権現)が最初に降臨した「ゴトビキ岩」のある神倉神社です。その後の「熊野信仰」の原点ともなりました。 花の窟神社・神倉神社とゴトビキ岩・八咫烏(熊野本宮大社内) 天照大神が遣わした八咫烏に導かれ、初代天皇となった「神武天皇」東征の地。『古事記』によると、日本の初代天皇とされる神武天皇は「天界」と「冥界」の間にある「地上界」を治める為に兄と共に東へ進軍しました。出発地の日向(宮崎県)より筑紫(福岡県)、吉備(岡山県)を経て浪速(大阪府)へと
向かいますが、大和(奈良県)の豪族の抵抗を受けて紀伊・熊野(和歌山県)へ退きました。そこで神剣・布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)を手に入れ、八咫烏の導きで大和へと向かい、
大和の荒ぶる神や豪族を打ち破り、天皇として即位されることとなりました。 ※神武天皇即位前は、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ、若御毛沼命)で天照大御神の五世孫。※『古事記』では高天原(たかまがはら/天界)、葦原中津国(あしはらのなかつのくに/地上世界)、黄泉の国(よみのくに/死者の世界・冥界)とされる。 紀元前33年〜 森、滝、巨石など、自然に神が宿る「自然崇拝」の地は、「死後(黄泉)の国」に通じる聖地へ。三山誕生。。 森林に覆われた峻厳な山岳や岩塊、滝や巨木などの自然物を敬い、自然への畏敬の念が「自然崇拝」を生み、熊野は「黄泉」にも通じる神々(熊野権現)が鎮まる神秘の地として崇められました。山に籠もり修行の末、悟りを得ようとする山岳信仰・修験道の霊場(修行地)となり、「熊野三山」と称される山岳霊場の3つの神社もこの頃に創建されました。
大斎原(おおゆのはら)/旧熊野本宮大社 日本一の高さを誇る大鳥居(高さ約34m、幅約42m)のある、
神が舞い降りたという、かつての熊野本宮大社。ここは熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる中洲で、当時、約11,000坪の境内に五棟十二社の社殿、
楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模でした。明治22年(1889年)の大水害により多くが流出したため、水害を免れた4社を現在の熊野本宮大社に遷座しました。
  • 「熊野那智大社」及び「飛龍神社」熊野三山の一つ。主神は、熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)。即ちイザナミ命であり、本地仏は千手観音です。
  • 「熊野速玉大社」熊野三山の一つ。熊野速玉大神(はやたまのおおかみ)即ちイザナギ命と、
熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)即ちイザナミ命の二神が主神です。本地仏は薬師如来です。
「熊野本宮大社」熊野三山の一つ。主神は、家都御子大神(けつみこのおおかみ)即ちスサノオ命であり、
本地仏は阿弥陀如来です。
「那智山 青岸渡寺」世界遺産にして、西国三十三ヵ所第一番札所に定められた多くの信者や参詣者が訪れる由緒ある天台宗の寺院。熊野信仰の霊場として長い歴史があり、元々は那智の滝を中心とした神仏習合の一大修験道場だった。
「阿須賀(あすか)神社」2016年に追加登録された新たな世界遺産。歴史は古く紀元前423年に創建とされていま。
秦の始皇帝の命を受けて不老不死の薬を求めた徐福の一行が上陸したのがここ阿須賀神社の建立地と伝えられています。
「玉置神社」大峰山脈の南端、標高1,076mの玉置山に鎮座し神武天皇東征の途上として伝承のある世界遺産です。古くより熊野から吉野に至る熊野・大峰修験の一つで、平安時代には神仏混淆となり玉置三所権現または熊野三山の奥院と称せられ霊場として栄えました。
6・7世紀〜古墳・飛鳥時代
仏教伝来、大化の改新、「熊野」から「紀伊」 神仏習合(神と仏を一体とする信仰形態)の「熊野信仰」が生まれる。仏教者の修行地に(『日本霊異記(りょういき)』より) 上皇・法皇が御幸される「仏の住む浄土」として、浄土信仰と結びついた「熊野信仰」聖地への参詣が盛んに。 熊野の自然崇拝に基づく神道、神仏習合を経て、極楽浄土への往生を願う浄土信仰が結びついた「熊野信仰」は、907年の宇多法皇より始まり、鳥羽上皇、特に後白河上皇の熊野御幸(熊野詣)により、院政下において定着、信仰が広まった。その参詣道が「熊野古道」であり、「神道と仏教の類稀な融合」と「文化的景観」が評価されて世界遺産となりました。 <熊野御幸>・宇多法皇(1)・花山法皇(1)・白河上皇(9)・鳥羽上皇(21)・崇徳上皇(1)・後白河上皇(33)・後鳥羽上皇(28)・後嵯峨上皇(2)・亀山上皇(1)(回数) 歴史と共に史跡、名勝を巡る。 「道」の世界遺産は世界でたった2つ。1つがスペイン「サンティアゴへの道」、そしてもう1つが「熊野古道」です。 熊野古道を歩く。「熊野古道」といえば中辺路(なかへち)。上皇・法皇の御幸のルートとして有名なのが公式参詣道とされた熊野古道・中辺路です。平安期には多くの貴族も参詣し、藤原定家や和泉式部もこの路を歩んだとされています。熊野古道の特徴に、道中に「王子」と呼ばれる熊野神(権現)の御子神を祀った社があります。
皇族・貴人の熊野詣に際して先達をつとめた熊野修験の手で急速に組織された一群の神社で、総称して熊野九十九王子(くまのくじゅうくおうじ)と呼ばれ、参詣者の守護が祈願されています。
熊野古道を歩く際は、この多数点在する「王子」を起点にして歩くことが一般的で、「発心門王子(ほっしんもんおうじ)」から熊野本宮大社を目指すコースなどが人気です。 泳ぐ、遊ぶ、釣りをする。大自然を満喫できるアクティビティも。 大塔川、熊野川、新鹿海岸公園 山、川、海とアウトドアを楽しむ為の条件がすべて整っているのも「熊野本宮Village」の魅力の一つです。
悠々と流れる名大河・熊野川での川遊びはもちろんのこと、魚釣りでは、アユ、サツキマス、スズキ、チヌといった魚が狙え、熊野川支流や大塔川でもアマゴなどの渓流魚も狙えます。
また海水浴を目的とするならば、環境庁「快水浴場100選」にも選ばれた新鹿(あたしか)海岸公園があります。
穏やかなビーチで、SUP(スタンドアップパドルボード)やシーカヤックなどのマリンスポーツを楽しむこともできます。 「熊野本宮ワーケーションVillage」周辺案内 国内初の民間ロケット発射場の見学も本州最南端の町・串本町田原に建設されるのが
国内初の民間小型ロケット射場「スペースポート紀伊」です。
20年代半ばまでには、年間20回程度のロケット打上げが目指されており、4カ所の公式打上げ見学場の建設も予定されているようです。「Village」からは1時間程の距離で見学することができます。 事業主体はロケット会社「スペースワン」。出資企業は、キヤノン電子、IHIエアロスペース、清水建設、日本政策投資銀行の4社。
芦屋展示場 芦屋アートギャラリー
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